Nishimaiko Baptist Church

たけ

お知らせ

クリスマスイベント

クリスマスの各集会を掲載しました。 詳しくはイベントのページをご覧ください。クリスマスイベント

創立50周年記念祝会と特別伝道集会は皆様のお祈りとご協力のもと、祝福の内におわりました。

参加くださいました兄姉、ご祈援くださいました多くの先生方ならびに兄姉の皆様、本当にありがとうございました。

クラリネットコンサートとメッセージの集いのご案内

9月22日(木)に行われたメッセージ&クラリネットコンサートには67名の方が参加下り、参加者一同のご奉仕によってとてもすばらしい集会となり感謝です。又、11月3日のための良き備えとなりました。ワード先生、香月更姉に感謝いたします。

日曜学校サマーフェスタ無事終了

日曜学校では7月23日(土)午後1時から3時まで、サマーフェスタを開催しました。
たくさんのお友達やご家族の方が、参加くださいました。

八十先生ご家族の来会

20年ぶりに八十先生ご家族が、来会くださいました。
先生が近況をお証しくださいました。その時の様子

各種メディアに対応したサイトにリニューアルしました

近年、タブレットやスマートフォンの普及に伴い、当サイトをスマートフォンやタブレットで閲覧くださっている方が増えていますので、各種メディアに対応したサイトにリニューアルしました。 ご活用ください。

Facebookページができました

教会のFacebookのページができましたので、ご活用ください。
ページはこちらから  Facebook

今週の週報

毎週日曜日に配られる週報を更新しています。別ウィンドウで開きますので、ブックマークをお願いします。 今週の週報

教会について

WELCOME

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」イエス・キリスト

「幸せに生きたい」とはすべての願いですが、思いがけないことが次々と起こってくるのが人生です。
長い療養生活で身も心も疲れきっている人、 愛する人に裏切られて失意のどん底に喘いでいる人、
家庭や学校や職場での人間関係がこじれて気落ちしている人、 誰をも信じられずにひとり孤独をかみしめている人・・・・
これらの人生の重荷で疲れ果てておられる方は多いはずです。
もし、あなたにこれらの問題があったとしても、「自分だけがなぜ?」と嘆かないで下さい。
人間はみんな、何らかの問題を抱えているのです。 むしろその問題は、あなたが神様と出会うチャンスになります。
愛なる神様はあなたに真の幸福を与えようと、あなたを招いてくださっているのです。

西舞子バプテスト教会は、あなたがまことの神様に出会うためのお手伝いをさせていただきたいと思っています。
教会には、主人会・婦人会・青年会・中高生会・幼小クラスがあります。いろいろな年齢層の方々が、集っておられます。
最高年齢は、90歳の壮年の男性で,最年少は、赤ちゃんです。

私たちは、地域に根ざした教会を目指しています。
どうぞ、あなたもお気軽にお越し下さい。
教会は、JR朝霧駅から北東に徒歩10~15分の距離にあります。
教会の南東には、明石海峡大橋や舞子公園などがあり、
瀬戸内海国定公園の中にあります。

瀬戸内海国定公園

牧師紹介

ごあいさつ

牧師私たちの教会は、今年で教会設立50年を迎えます。
アメリカのバプテスト教会から日本に派遣された宣教師ご夫妻によって始められました。
バプテスト教会は、アメリカにおけるキリスト教会の最大のグループと言われています。
歴史は、イギリス、さらにはヨーロッパへとたどるのですが、旧約聖書、新約聖書を唯一最高の権威として、聖書の教えにつねに純粋に従おうとして来ました。
同時に政治と宗教の分離を保ち、会員一人ひとりが平等に教会形成にかかわり、礼拝・宣教・教育と交わりに励んでいる自治独立の教会です。
聖書は神様のみことばであり、私たち人間の必要とする真理がすべて書かれています。
イエス・キリスト様の十字架と復活こそ、福音(良い知らせ)の中心であり、神様の最高の愛の現われと言ってよいでしょう。
世界中の人々は、平和で豊かな人生、家庭、社会を求めて努力してきました。 たしかに物質的には豊かで便利な生活を手にしたのですが、空しさやはかなさ、平和を保つことの難しさを実感させられているのではないでしょうか。
今日、私たちが最も必要としているものは何でしょうか。それは、神の愛であり、神の愛の中に生きる生活ではないでしょうか。
神の愛こそが一人ひとりの心に平安と信頼を与え、永遠の生命に生きる希望を与えてくださいます。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
第一コリント13章13節

私たちの教会は、赤ちゃんからご高齢者の方まで、あらゆる階層の方々が集まり、家庭的な雰囲気の中で交われる教会です。
このホームページをご覧くださったあなたも、ぜひ、一度お気軽に来会くださいますよう、お待ち申し上げております。

西舞子バプテスト教会牧師 表 博之

バプテストとは

バプテストの信仰告白

1.聖書について
私たちは、66巻からなる聖書が原典に置いて十全逐語霊感されていることを信じる。聖書は、信仰とその実践に関する絶対的権威をもつ唯一の書であることを信じる。さらに聖書は、神・人の堕落・救いの方法・各時代における神の計画と目的を啓示しているものであることを信じる。Ⅱテモテ3:16~17 Ⅱペテロ1:20~21

2.神について
私たちは、唯一の神を信じる。この神は万物の創造者であり、永遠・全能・全知・遍在の神であり、ご自身を三位一体すなわち、父・子(イエス・キリスト)・聖霊において現され、その本質・属性・力・栄光においては一つであって、ただ霊とまこととをもって拝されるべきお方であることを信じる。創世記1:1 申命記6:4 マタイ3:16 マタイ28:20

3.創造について
私たちは、はじめに神は天と地をそれに満ちるものを直接に創造され、ご自身のかたちにしたがい、神と似た者として人を創造されたことを信じる。創世記のある創造の記事は寓意的、あるいは比喩的にではなく字義的に受け取るべきものであり、生物進化論を拒否する。 創世記1:1 創世記1:11 創世記1:26 ~27 創世記2:21~24 出エジプト20:11 ネヘミヤ9:6 エレミヤ10:12 ヨハネ1:3 使徒4:24 使徒17:23~26 ローマ1:20  コロサイ1:16~17 ヘブル11:3  默示録10:6

4.イエス・キリストについて
私たちは、イエス・キリストの神性と聖書に記されているように、キリストが処女からお生まれになったことを信じる。また、私たちはイエス・キリストは神の独り子であり、父と聖霊とともに共存していることを信じる。 彼は処女降誕により世に来られ苦しめられ、私たちの罪の身代わりとなって死に、葬られ、三日目にからだをもってよみがえり、昇天し、神の右の座に座しておられることを信じる。マタイ1:18 Ⅱコリント5:21 ヨハネ1:1 Ⅰコリント15:20

5.聖霊について
私たちは、聖霊なる神を信じる。聖霊は三位一体の神の第三人格であり、世に対して、罪について、義について、裁きについて悟らせ、キリストを信じる者たちを新たに生まれさせ、彼らの内に住んで導き・教え・きよめ・助けるために働かれているお方であることを信じる 。 ヨハネ16:7~14 3:5~8 テトス3:6 ローマ8:4~5 8:9 8:11

6.人間について
私たちは、人間が神のかたちに似せて創造されたが、始祖アダムの反逆によって堕落した結果、全ての人間は生まれながら罪責を負い、同時に自らの意志の選択によっても罪を犯す者であり、生まれながらに霊的に死んだ者である。現在のままで死んでいくことは永遠に地獄で呪われ、神より離れてしまうことを信じる。創世記1:26~27 ローマ5:12 エペソ2:1~2 黙示録22:8

7.救いについて
私たちは、救いはただ神の恵みによるものであることを信じる。救いに至る条件は悔い改めと信仰である。さらに私たちは、人の魂はイエス・キリストを個人的な救い主として、また神として受け入れられるとき、救われるのであり、かつ聖霊が永遠の命を分かち与えるものであることを信じる。エペソ2:8 ローマ3:22 ローマ3:24 ルカ13:3使徒17:30

8.救いの保証について
私たちは、なにものも真の信者を神の愛から引き離すことはできず、信者は永遠に保護されることを信じる。一度、救われた者は決して救いを失うことがないと信じる。ローマ8:35~39 ヨハネ10:28~29

9.信者の聖化について
私たちは、信者が聖化されることは神の御旨であると信じる。聖化とは神の御旨に従い、それによって私たちが神のために聖別され、神のきよさに与る行為であり、過程であると信じる。それは新生によって始まり、一生を通じて続く斬新的なものであり、主イエス・キリストの再臨において完成されるものであると信じる。ローマ8:29 ガラテヤ5:22 5:23 ピリピ1:6 Ⅱコリント3:18 Ⅰコリント13:10

10.教会について
私たちは、イエス・キリストによって贖われた全ての信者が、キリストをその頭とする、生きた霊の体である唯一の教会に加えられることを信じる。また、三位一体の神の御名によってバプテスマを授けられ、礼拝と奉仕と交わりのために組織された集まりである地方教会を信じる。聖書は地方教会を強調していることを信じる。これらの地方教会に対して、主の来られるときに至るまで守るべきバプテスマと主の晩餐の礼典が委ねられたこと(バプテスマは全身を水に浸す浸礼であり、それは私たちの古い性質がキリストと共に葬られ、キリストにあって新しいいのちによみがえったという内的変化の外的表現である。主の晩餐は、キリストの死を記念する象徴的儀式であり、パンはキリストの罪のない体、ぶどう酒はキリストの聖い血を示している)、ならびに神はこれらの地方教会に世界的宣教のわざを与えたものと信じる。マタイ28:18~20 Ⅰコリント11:23~34 エペソ5:25~27 ローマ6:3~4

11.教会と国家との関係について
私たちは、各地方教会は独立かつ自治であり、聖職者階級あるいは、政治的権力によるいかなる干渉からも、自由でなくてはならないと信じる。ただし、信者は国家が神の御心に反しない限りにおいて、良き市民であるべきと信じる。ローマ13:1~7 使徒6:1~5 マタイ22:21

12.悪魔について
私たちは、悪魔の実在を信じる。悪魔は人格を持った霊的存在であり、悪霊を用いて人間を誘惑し、神に敵対する悪しき試みる者であると信じる。 エペソ2:2 Ⅰペテロ5:8 ヨハネ8:44

13.キリストの再臨と終末について
私たちは、主イエス・キリストが千年王国前に空中再臨され、教会を天に携え上げられること、その後、教会と共に地上に再臨され千年間、この地上を義と平和とをもって治められることを信じる。未信者は千年王国後、からだをもって復活させられ、裁かれ、永遠の審判に定められること、信者は永遠の祝福に定められることを信じる。Ⅰテサロニケ4:16~17 黙示録20:11~15

バプテストの歴史

1.バプテストの由来
名前の意義は、定義付けであり、その特質を表し他のものとの区別を明らかにする。キリスト教会には、たくさんの名前を持っている教会がある。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・長老教会・アッセンブリー教会・ペンテコステ教会等々、それぞれの名前には意味があり歴史がある。歴史を学ぶことによって、名前の意味や意義をより正確に知り、それぞれがどのような信仰と立場の教会に属しているかを知っておくことは、地域教会の成長の上で意味のあることである。
A.バプテストとは「バプテスマを施す者」という意味である。バプテスマのヨハネ(マタイ3:1、マルコ1:4) ヨハネと呼ばれる人物が新約聖書に登場しているが、彼はバプテスマと呼ばれる儀式を行なったので、バプテストのヨハネと言われていた。

B.16世紀頃、ドイツ、オランダ、スイスなどでは、カトリック教会や、一部のプロテスタントからアナバプテストと呼ばれた人々がいた。 アナバプテストとは再浸礼を施す人という意味である。カトリック教会や一部のプロテスト教会からアナバプテストと呼ばれる教会に加わろうとした場合、多くは幼児バプテスマであるために、バプテスマを受けなおして会員となった。 そこで、カトリックの人々から見れば、幼児バプテスマを含めると2度目となり再バプテストと軽蔑をこめて呼ばれていた。 当のアナバプテストと呼ばれた人々は、自分たちが2度バプテストを施しているとの意識はなかった。聖書的バプテスマを1度だけ施しているとの立場であった。 イギリスでのバプテストの出現は、ヨーロッパのアナバプテストの信仰との交わりに影響されている。

C.17世紀に入って英国の清教徒運動の結果として誕生した教会で、バプテストの名前が最初に使われていたことが明らかとなっている。 1611年、イギリスのロンドンで、トマス・ヘルワイス(1550~1611)を中心とする人々が組織した教会で、バプテストの名前が使われていたのが今日、明らかとなっている中では一番古いと言われている。

D.今日のバプテストの多くは、イギリスからアメリカに伝わり、成長発展したバプテスト教会の世界宣教によって生じたと考えられる。

Ⅱ.教会史の真実
A.全ての教会は国家教会に属していたのではない。
1.キリスト教会の誕生は、A.D.30年頃(使徒2章、ペンテコステの祝い)誕生したと考えられる。
2.A.D.100年~A.D.313年は迫害の時代 ローマ帝国の支配下に誕生した教会は、その勢力が次第に拡大するにつれて、今までの地方的、散発的迫害から国家的迫害弾圧に変わってきた。
     A.D.313年 デオクレティアヌス皇帝の迫害勅令
■会合の禁止
■聖書の焚棄
■会堂の破壊
■教会役員罷免
■キリストを証言する者を投獄 「殉教者の血が教会の種子である」 テルトゥリアヌス(教父の1人)
A.D.313年 コンスタンチヌス皇帝によるミラノ勅令 礼拝の自由を保証、教会財産の返還、日曜礼拝を定め、国家が教会を補助
A.D.380年 テオドシウス皇帝  キリスト教と国教 
A.D.395年 キリスト教唯一の公認宗教 その他を非公認として排除 *すべての教会が国家教会に加わったのではない。カトリック教会は皇帝と結びつき 巨大組織となった(A.D.590年頃)

B.真理の連続性 マタイ16:18
1. 初代教会から、今日までの聖書信仰の教会が連続している。
2. イギリスのバプテストまでたどれるが、それ以上の教会、バプテスマ、説教者、連続を証明するのはむずかしい。
3. 非国家教会がいつも正しい教理且つ、バプテストと呼ばれたのでもない。
4.多くの資料はカトリック側からの資料であり、常に非国家教会に非難的である。(今日の中国にある公認教会と家の教会の関係と類似)
真理の連続は、新約聖書の時代から今日まで、聖所の心理に忠実な教会が存在しているという説である。
「使徒連続」「バプテスマ連続」「教会連続」という説明もあるが、文献などによって完全に説明できない。しかし、新約から今日までどの時代にも、聖書に忠実であろうとした教会は存在していた。ですから、直接教会の結びつきがなくても、聖書信仰は連続していると考えられよう。厳密にはプロテスタントはカトリックから出てきた教会のことであり、バプテストは、カトリックとは関係なく、あらゆる時代の聖書教会と一致、類似性をもっている。 名前の意義は、定義付けであり、その特質を表し他のものとの区別を明らかにする。 キリスト教会には、たくさんの名前を持っている教会がある。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・長老教会・アッセンブリー教会・ペンテコステ教会等々、それぞれの名前には意味があり歴史がある。
歴史を学ぶことによって、名前の意味や意義をより正確に知り、それぞれがどのような信仰と立場の教会に属しているかを知っておくことは、地域教会の成長の上で意味のあることである。
A.バプテストとは「バプテスマを施す者」という意味である。バプテスマのヨハネ(マタイ3:1、マルコ1:4) ヨハネと呼ばれる人物が新約聖書に登場しているが、彼はバプテスマと呼ばれる儀式を行なったので、バプテストのヨハネと言われていた。
B.16世紀頃、ドイツ、オランダ、スイスなどでは、カトリック教会や、一部のプロテスタントからアナバプテストと呼ばれた人々がいた。
(今日の中国にある公認教会と家の教会の関係と類似)
真理の連続は、新約聖書の時代から今日まで、聖所の心理に忠実な教会が存在しているという説である。「使徒連続」「バプテスマ連続」「教会連続」という説明もあるが、文献などによって完全に説明できない。
しかし、新約から今日までどの時代にも、聖書に忠実であろうとした教会は存在していた。
ですから、直接教会の結びつきがなくても、聖書信仰は連続していると考えられよう。厳密にはプロテスタントはカトリックから出てきた教会のことであり、バプテストは、カトリックとは関係なく、 あらゆる時代の聖書教会と一致、類似性をもっている。

開拓伝道者ホワイト宣教師ご夫妻

ホワイト宣教師

ロナルド・ホワイト博士のプロフィール

1941年 米国ウエストバージニア州に生まれる。
1965年 日本来日
1966年 西舞子バプテスト教会開拓
現在、関西単立バプテスト神学校名誉校長
米国トライシティーバプテスト教会の サポートのもと、 世界宣教に携わっている。
教会音楽博士。



ご挨拶

西舞子バプテスト教会は、神の御業によって存在している教会であることを確信しています。
私と家内は宣教師として、この地域で開拓するのは神の御心であったことを、心から、感謝しています。
ここにくるまでの神様の導きは、本当にすばらしいと思っています。

私は12歳のときに宣教師になることを決心しました。それから私は、どこで宣教するべきでしょうかと、いつも祈りました。
最初の頃、私は、アフリカや南アフリカ、または、ヨーロッパに行くと思っていました。しかし、神学校2年生の時に、日本について考えるようになりました。
ある日、私は、使徒16章を読んでいるとき、6節に目を留めました。パウロの宣教チームは、「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた」と書いてあることを読んだとき、聖霊は私の心にこう言われたのです。
「パウロはアジアで宣教することを禁じられたが、あなたはそうではありません。アジアに行きなさい。」との強い印象を受けました。そして、私は日本に召されていると確信しました。

1965年1月5日に、やっと日本に着きました。そして、2月最初の日曜日にマーカム宣教師たちと共に、西宮北口バプテスト教会を開きました。
1週間後に、ドン・シスク先生家族は着きました。しばらく3組は、西宮で働きました。
約1年後、シスク先生たちを応援するために、千里ニュータウンバプテスト教会に移りました。
それから1966年9月ごろ、私と家内は、関東のほうに引越しをするため、家を借りて、行く準備を始めました。しかし、どうしてかわかりませんが、心の平安がありませんでした。
パウロは、「ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」(使徒16:7)
同じように、私は、関東に行くのは、みこころではないことを確信しました。

それから私は、シスク先生家族と一緒に姫路城見物に出かけました。西舞子の地方を通るときに、多聞台を見たのです。
また、パウロがマケドニヤの幻を見たときと同じような気持ちになりました。
「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、“マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。”と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。」(使徒16:9~10)

その時から今日まで、この場所は神が選んでくださった場所であることを確信してきました。
これまでの祝福を神に感謝します。これからの祝福を期待しています。

西舞子バプテスト教会は、模範的な教会でした。
「こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤの全ての信者の模範になったのです。」(Ⅰテサロニケ1:7)また証しが「あらゆるところに伝わっている・・・」と書いてあることによって、彼らは宣教的な教会であったとわかります。

西舞子バプテスト教会の証しも、この地方から日本全国、そして海外までも、もっともっと広がるように望んでいます。
また彼らは、偶像から神に立ち返りました。(Ⅰテサロニケ1:9)
西舞子バプテスト教会も偶像や祖先崇拝から、はっきりと離れることを、今までと同じように、これからもそうしてほしいと望んでいます。
また彼らは神に仕えるようになりました。(Ⅰテサロニケ1:9)
西舞子バプテスト教会も主の再臨のときまで、主に仕えるように願っています。
またマケドニヤにある教会は、献げることの模範でした。Ⅱコリント8:1~5によると、マケドニヤの教会は、「・・・力に応じ、いや力以上にささげ」ました。

西舞子バプテスト教会も続けて、できるところまで献げるならば、神様はできる以上のことをするように助けてくださいます。
私は西舞子バプテスト教会のためにどのようなビジョンを持っているでしょうか。それは、主の再臨まで働き続け、豊かに用いられ、みこころのままに神の栄光を現しますように求めているのです。
多くの人が救いに導かれ、多くのクリスチャン・ホームが与えられ、多くの働き人を送り出すなら、日本中に影響を与え、地の果てにまで成功されるでしょう。

西舞子バプテスト教会に対する私のビジョンは、ピリピ1:9から11に書いてあると思います。
「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますに。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されることがなく、キリスト・イエスによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の栄えと誉れが現されますように。」
今までの神の祝福を感謝します。今日の祝福も感謝します。そして今からの祝福を待ち望んでいます。

1966年11月16日~1970年5月4日    西舞子バプテスト教会における牧会期間

各集会

礼拝案内

礼            拝
第一礼拝            AM10:50-12:00
第二礼拝            PM   2:00- 3:00
ユース          第3・4日曜日    PM       2:00- 3:00
オーバーユース        第3・4日曜日 PM 2:00- 3:00
主人会・シニア会(65歳以上) 
                              第3日曜日  PM12:45- 2:30
主人会・ヨシュア会(64歳以下)
                            第3日曜日    PM12:45- 2:30

祈り会(聖書研究会)    毎週水曜日    PM 7:00- 8:30
婦人会(野のゆり会)    毎週木曜日    AM10:00-12:00
月一回 マザーリーフ(若いお母さんの集い)
                                  AM10:00-2:00

■どの集会も無料です。
■どの集会も乳児の託児があります。
■送迎車用意しております。御相談下さい。
舞子駅タクシーロータリーからの定期便は、
10:30AM(第2日曜日は10:10AM)出発。
■家庭生活、人生問題のカウンセリング随時。
エルピス・カウンセリングセンター(聖書カウンセリング)
■エホバの証人問題の御相談随時
第4日曜日の2:00PMからは、定例学び会を行っています。

礼拝:賛美光景

主人会

毎月第3日曜 午後12時45分~2時30分
主人、独身男性の交わりの集い。
聖書の学び祈り、趣味の交わり、様々な奉仕活動を通じて、 互いの親交、信仰を励まし合う会です。
キリスト者男性として家庭、教会、社会での貢献、 証しについての良き学びの時です。
●シニア会(65歳以上)
●ヨシュア会(64歳以下)

主人会ブログ

主人会活動風景

婦人会

毎週木曜日 午前10時~12時

婦人会は、毎週木耀日の午前中、御言葉の学びと交わりのときを持っています。
教会に集われている主婦の方をはじめとする女性のための会です。
婦人会は、年間をとおしてさまざまな楽しいプログラムで活動をしています。 聖書の学びはもちろん、ビデオを観賞したり、クリスマス会をしたり、
音楽コンサートを開催したり会員同志の親睦を深めるために交わり会をしたり、ピクニックに行ったり・・・。
また 毎月一度月曜日にオカリナの練習に集まっています。 各地域においても家庭集会も行われています。
若いお母さんもご高齢の方も、クリスチャンの方も、そうでない方も、
初めての方でもどなたでも心より歓迎申し上げます。
あなたもお気軽に教会にお越し下さい。
皆さんのお越しを心からお待ちしています。
西舞子バプテスト教会婦人会一同

婦人会活動風景

ユース・オーバーユース

毎月第3・第4日曜 午後2時―3時

中学生以上39歳までのユース、若い家族の交わり会、

聖書の学び祈り、スポーツ、キャンプ、宣教旅行など、
様々な活動、奉仕をしながらのフェロシップです。
海外のクリスチャンとの交流も活発に行っており、
良い友人、伴侶との出会いの場でもあります。


●中高生会 
●青年ユース 18歳―29歳
●オーバーユース 30歳以上 独身、夫婦
(年齢は目安で、個人の希望も受け付けますのでこれに限られることはありません。)

ユース活動の様子

日曜学校

毎週日曜日 午前10時―10時45分
幼児から成人に至るまで全年齢層対象とした聖書教育プログラムを行っています。
知能教育、技能教育と共に大切なのが心の教育です。
人の心は人間のコントロールセンターであり、心が正しく養われていなければ、すべての教育は十分に生かされないでしょう。
聖書は心の教育にとっての最高の教科書です。

「聖書は、神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。
人間にとって望ましいものはすべて聖書に含まれる。」 
アブラハム・リンカーン

幼少クラス、中高生クラス、一般クラスの3つに分かれています。

日曜学校

日曜学校・幼少クラス

毎週日曜日 午前10時30分~12時

教会では、毎週日曜日、3さいくらいから小学6年生のおともだちがあつまって、
イエス様のおはなしをきいたり、賛美をしたり、
まじわり会(お楽しみ会)をしたりしています。
ときどき、ピクニックに行ったりもします。
みんなの大好きなイエスさまのお誕生をおいわいする、
クリスマス会もあります。
おともだちのみなさん、どうぞ日曜学校にきてください。
教会では、みなさんがきてくれることを楽しみにしています。

日曜学校幼少クラスイラスト

カウンセリング

一般の方

21Cは、精神疾患の方々が今までの成人病(ガン、高血圧、心臓病、糖尿病)を抜いて、第一位となっています。
すでに感情障害者(うつ病)は100万人を突破し、自死(殺)者も毎年3万人以上です。
日本では、投薬治療が中心ですが、治療に時間とお金がかかり、しかも完治しません。厚生労働省も、認知行動療法によるカウンセリングを活用しようとして保険適用(2011年度より)となっています。
聖書カウンセリングは、聖書の枠組みの中で、人間の心を定義し、前提としますが、手法は、認知行動療法とよく似ています。
神経症(ノイローゼ)心身症、パニック症、強迫神経症、初期のうつにはとても効果的です。
信仰の有無に関係なくご相談下さい。費用も大きな負担はありません。予約が必要です。
「心の病」は早期治療が完治の最も大切な条件です。誤ったカウンセリング、投薬は悪化、長期化し、社会復帰が難しくなります。 よき家庭生活へのカウンセリングも専門的に行います。
牧師は40年以上の牧会カウンセラー、神学校カウンセリング教師として実践、経験が豊かです。
●カウンセリングをご希望の方は、お電話またはメールにてご予約ください。

エホバの証人でお困りの方

〒655-0048
神戸市垂水区西舞子8丁目10-11
JW問題カウンセリングセンター
E-mail paster@nishimaiko-bc.com

エホバの証人対策

エホバの証人救済活動

1988年から証人問題で悩んでいる方々のために、カウンセリング活動を行っています。
100人以上の方々が脱会されました。元証人との交流も出来ます。
毎月第三火曜日、午後1時―3時、家族会を行い、証人に対する具体的対応について学び、悩みを共有しています。
2014年、後2年でキリスト再臨(証人の教理1914年再臨)から100年、しかし、ハルマゲドンの預言は成就しませんでした!
「1975年説」の誤りと同じです。
「輸血の禁止」は聖書の教理ではなく、証人だけの教理で、聖書の解釈の誤りから生まれている教理です。この教えの広がりは間接的殺人補助となるでしょう。
「エホバの証人」は、クリスチャンではありません。彼らはイエスを神と告白せず、エホバだけを神としています。彼らは「エホバ教」です。
多くの証人はマインドコントロールの故に正しく判断できません。力による(監禁、拉致)のではなく、粘り強い愛により説得しましょう。
反対、迫害によってマインドコントロールは強化されるだけです。
マインドコントロールが弱められるなら、自分で誤りに気づかれるでしょう。
聖書解釈のルールはなく、「統治体」の独善です。
キリストの神性を否定する解釈、翻訳による独自の聖書を出版しています。(新世界訳聖書)

1914年の真理とは!

-1914年から100年目を迎えました。-
100年前の1914年は第一次世界大戦が勃発した年でした。4年間に亘る戦いで1900万人程の死者が出たと記録されています。ヨーロッパを中心として、世界中で凄まじい苦しみや悲しみの叫びが響いたことでしょう。エホバの証人はこの状況を新約聖書マタイの福音書24章でイエスが語られた「終わりの日の前兆」と考えました。さらに旧約聖書ダニエル書4章10節から16節の「7つの時」の成就と判断したのです。最も主要な点は「キリストが天において神の国の王となられ『終わりの日』が始まったことです。」この解説は証人独特の解釈で確信に満ちているものです。

●確信の根拠をまとめてみましょう。

1.1971年5月1日号「ものみの搭」誌の記事を引用します。
「転向点となる1914年
今あなたがお読みになっている『ものみの搭』誌は、すでに1880年3月号の中で、1914年がイエスの言われた『諸国民に定められた時』の終結する年であるとの、聖書の預言に人々の注意をひきました。…… 神の預言的なことばは、たがうことがありません。時の経過は、神の預言的なことばの真実性および誤りのない正確さを証明してきました。 1914年に苦難の時代の開始を目撃したこの世代に残されている年数は、いよいよ少なくなっています。その世代が過ぎ去る前に、預言されていた『大かん難』が訪れるでしょう。」

2.「ものみの搭」の教えを研究する人々の初めのテキストは「聖書は実際に 何を教えていますか」を使います。テキストの付録に「1914年―聖書預言における重要な年」との見出しで詳しく解説されているのです。この箇所で聖書を巧みに引用して、B.C.607年から2520年経過すると1914年となるとして、1914年が「7つの時」の終わりとなると解釈します。 「その2520年は西暦前607年10月に始まりました。それは、エルサレムがバビロニア人の手に落ち、ダビデの家系の王が王座を追われた時です。その期間は1914年10月に終わりました。その時、「諸国民の定められた時」が終わり、イエス・キリストは神からの任命を受けた天の王として即位されました。……中略……そのような出来事は、まさに1914年に神の天の王国が誕生し、現在のこの邪悪な事物の体制の「終わりの日」が始まったことを、強力に証しています。」(「聖書は実際に何を教えていますか」P217~218)

3.「めざめよ!」誌の発行目的での1914年の強調 1980年代の「目覚めよ!」誌の発行目的には次のような説明が書かれています。 「きわめて重要な点として、本誌は、1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという、創造者の約束に対する確信を強めます。」このような教えは1880年から明言されており、「目覚めよ!」誌の発行目的の中できわめて重要な点としてと教えられていたのです。 以上の確信は少なくとも100年間は変わりませんでした。

●次にエホバの証人の特徴についてまとめてみましょう。

1.聖書を正しく解釈する唯一の組織であるとの確信。エホバの証人の教えは「真理」であるとの確信です。
2.「終わりの日」、即ちハルマゲドン(世界最終戦争)の時間を強く想定させます。すでに今までに、1918年(第一次世界大戦の終わりの時)、1975年の10月(アダムの誕生から7千年目となる)、そして「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に」と主張してきました。
3.熱心な宣教活動の実践。それは、「真理」を知ったとの確信と、 ハルマゲドンが近いとの危機感からの当然の帰結と言えましょう。宣教は神の大命令、神の愛の実践と信じて、仕事、学業、家庭以上に伝道活動を重視します。
4.証人の中だけの強い仲間意識と人間関係。 世俗社会との分離、家族、友人以上に証人同士の仲間意識を重視します。長年証人を続けると、今までの人間関係はなくなるのが帰結です。組織から離れられない現実生活の状況が生じます。周りからの反対などを経験すると一層証人との関係が唯一の人間関係となります。たくさんの仲間がおりそれぞれが誠実であり,犠牲的であるところから、組織の教理への疑問が起こりにくくなります。
5.組織に対する批判的すべての意見はサタンの仕業として、恐れ極端に警戒します。  当然、組織の中にいると教理の矛盾などに気づくことはありません。
6.一般の教会を常にサタンの僕として非難しています。カトリックとプロテスタントの区別が分かりません。同一視して非難しています。多くはカトリックについてであります。 一般の教会は聖書を教えない、伝道しない、戦争に参加するなどとして、常に一般の教会批判を注視して、自己の預言の矛盾に気づかせないようにしています。 エホバの証人の皆様はとても知的な方が多く、研究熱心ではありませんか。自分で考えることをされているでしょうか。証人の方々の信念は組織以上に聖書の真理に価値を見出されたのではありませんか。真理との確信が伝道の動機ではありませんか。誤りを宣べ伝えることに平気ではおられないはずです。 「教理について、洞察が得られたため、幾つかの点がより明確に理解で来るようになりました。」「以前の理解でした。」「再検討されました。」「理解してきました。しかし、さらに詳しく調べるなら、………、理解の調整が必要であることがわかります。」 上記の表現を用いて2013年7月15日号の「ものみの搭」誌で「1914年と終わりの日との関連」の教理が大幅に変更されました。単なる変更、調整、再検討で済ませる内容でしようか?

●どのような変更があったかをまとめてみましょう。

今までの教え (1880年3月から2013年7月)
(1)「1914年が終わりの日」の始まり。
(2)1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に大患難、 ハルマゲドンが成就します。
(3)1914年にキリストは天の神の国の王となりました。その時から「終わりの日」の全期間にわったって羊と山羊の裁きが行われます。
変更された教え(2013年7月15日号研究用ものみの搭」誌)

(1)「1914年に始まった出来事」は大患難ではなく「苦しみの劇痛の始まり」
(2)国連(現代の「嫌悪すべきもの」)がキリスト教会(一般のクリスチャンから見て聖なるもの)と大いなるバビロンの残りの部分を攻撃する時大患難が始まります。
(3)キリストは天において王となっているが王座には就いていない、国連の攻撃の後に王座に就く。偽りの宗教が滅んだ後に羊と山羊の裁きが行われます。

今回の変更の特徴は「1914年」と「終わりの日(大患難、ハルマゲドン)」との関係を希薄にすることと、大患難ハルマゲドンを、「国連が教会を攻撃したのち」とすることにあると理解出来るでしょう。それは1914年から100年を迎えた時もハルマゲドンが起こっていないからではありませんか?

●考えてください!!

「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないのなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。」申命記18:22

過って1975年をハルマゲドン成就の日と信じた証人たちがいましたが「一部の熱心な信徒の願望」にすぎないと一蹴されました。さらに「ハルマゲドンが来ないことによって、伝道の機会が与えられたことは幸いだ」としました。 今回も同様の手法が語られています。1995年11月1日号の「ものみの搭」誌では「世代」の解釈が変更されました。「これまでにエホバの民は、このよこしまな体制の終わりを見たいと切に願うあまり,『大患難』の始まる時を推測することがあり、1914年以降の一世代の長さを算定したこともあります。しかし、わたくしたちは、一世代が何年あるいは何日に及ぶのかを推測することによってではなく………歴史上のある時期に住み、他と異なる一定の特徴を備えた同時代の人々をおもに指しています」(1995年11月1日号「ものみの搭」誌P17)」。

「目覚めよ!」誌の出版目的からも「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に」の文言がなくなりました。

しかし、今回の変更はあまりにも大幅であり、教義の根幹の変更ではありませんか。
証人は本当に真理の証人なのでしょうか。
100年間以上の間「1914年を聖書預言における重要な年」と信じて誠実に伝道していた証人たちは誤った期待を抱いて伝道し、誤った教えを伝えてきたことにはなりませんか。多くの証人は本当に「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に」を信じて人生設計を立ててきました。迫害や困難に耐え「間もなくハルマゲドンが来る」との信仰を励みとして伝道してきたのです。ハルマゲドンの到来は漠然となってしまいました。このようなことが当たり前に認められるなら同じことがこれからも起こるでありましょう。今回の変更された教えもいずれ変更されるでしょう。真理と確信して宣べ伝える以上大きな責任があるのではありませんか。

なんと不思議なことでしょうか? マタイの福音書での内容は2千年前から明らかで変わっておりません。このような基本的な聖句を何故今頃になって、「明確に理解出来る」「洞察された」「理解の調整の必要」等々なのでしょうか。
考えてください!!

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ナザレのイエスは誰ですか!

-Who is Jesus of nazareth!-

聖書
ナザレのイエスは誰ですか! 聖書を神のことばと信じる人々は「ナザレのイエス」は神によって約束されていた救い主キリストであり、神と同等、同質の方として礼拝してきました。しかし、今日では「イエスの神性」を疑問視して、イエスの生涯から奇蹟を除き人間イエスを強調する人たちや、イエスは神よりも劣る「神のような人」とする人々もいるのです。さらに「イエスを架空の人物」とする人々もいます。今年は西暦2015年です。世界の大半の人々がイエスの歴史的誕生を起点としている西暦を使っている以上、イエスの存在を無視するなら歴史を否定することになりますので「架空の人物」については論外として、聖書は「ナザレのイエス」についてどのように教えているのかを考察致します。
この冊子ではヨハネの福音書1章1節と20章28節を中心にして「ナザレのイエスは誰ですか」を明らかに致します。
ヨハネの福音書1章1節をすべての公的な日本語聖書は「言葉は神であった。」と翻訳しています。

新共同訳 「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。」
口語訳  「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。」
文語訳  「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。」
永井訳  「初めに言ありき、また言は神と偕にありき、また言は神なりき。」
新改訳  「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
新世界訳 「初めに言葉がおり、言葉は神とともにおり、言葉は神であった。」

上記以外にも私訳がありますが、すべての日本語訳の聖書では、「言葉は神であった。」(新世界訳)と訳され、「言葉(言、ことば)」とは1章14節の「こうして、言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り…」(新世界訳)を参照すると、「言葉」は誕生する前の「イエス」であることが分かります。1節と14節とを合わせて考えますと「イエスが神であった。」となり、日本語からは明白に、誰が読んでも「イエスが神であった。」との理解になります。
「言葉は神であった。」(新世界訳 ヨハネ1章1節の最後の文章)の意味を詳しく考察しましょう。

ここでは「言葉」(ギリシャ語では冠詞が伴っている /ホ ロゴス )について 3つの教えが提示されています。
1.言葉の永遠性
「初めに言葉がおり」(新世界訳)の文章の「おり」(英語で was 、ギリシャ語で ヘーン )は、ギリシャ語の未完了時制(過去の中の継続)が使われているので、「言葉」が「初め」から時間を超越して、永遠に存在していたことを教えています(言葉の永遠の存在)。 2.言葉と神との人格的区別と一体性
「言葉は神(ギリシャ語で ホ セオス)とともにおり。」(新世界訳)の文章では、「言葉(ホ ロゴス)」が「神(ホ セオス)」と向かい合って交わっていたことが教えられています。ギリシャ語では「ホ ロゴス エーン プロス トン セオン」、英語では“the Word was with God.”となっています。前置詞「プロス」は名詞の対格を伴い親密な一体となる交わりを現し、「言葉(ホ ロゴス)」と「神(トン セオン)」との人格的区別と永遠の一致した親しい交わりが明示されています。18節の「父に対してその懐の位置にいる独り子の神」(新世界訳)の聖句からも独り子の神(イエス)が父なる神と継続的に交わっていたことが示されています(「懐に居続ける者」/現在分詞の名詞的用法)。 ヨハネの福音書では「言葉(ホ ロゴス)」は肉体を身につけて(受肉、1:14)人となり、神(ホ セオス)とは区別され「神のひとり子」(1:18)と呼ばれています。また、神(ホ セオス)は父と呼ばれ、イエスとの関係において「父は、すべてにまさって偉大です」(10:29、14:28)とあるように、父なる神に対してイエスは従属的関係で教えられています(言葉と神との人格の区別と永遠の一致した交わり)。
3.言葉の神性
「言葉は神であった。」を正しく理解するためには、文章の前後関係と単語や語順に注視しなければなりません。ギリシャ語聖書では「セオス エーン ホ ロゴス」となっています。冠詞「ホ」のある「言葉(ロゴス)」が主語となることは明らかですが、「神(セオス)」が述語動詞「エーン」に先行しているので、強調されていることも注視されなければなりません。「神(セオス)」に冠詞(ホ)がないことから「a god(一つの神、神のようなもの)」との可能性があると主張する人々もいますが、ユダヤ人(唯一神論者)であるヨハネが「神(セオス)」を多神論の神としては使いません(使う場合は複数形のセオイ)。 ですから冠詞のない場合は性質の強調となるのが通説で、父なる神(ホ セオス)と同じ性質を有する方となるのです。

結論としては、
「言葉(ホ ロゴス)は神(セオス)であった。」とは、父と人格的に同一人物ではないが、本質的な性質において同じであり、永遠の初めから一致した交わりにある神ということになります。このことは、「言葉と呼ばれたイエス」が「父なる神」と同じ性質のお方であるとの宣言となるのです(言葉の神性の宣言)。それをヨハネは福音書の中でさらに明らかにしています。 このようなギリシャ語の文法理解は殆どのギリシャ語学者の主張であり、「a god」と解釈するのは、エホバの証人とごくわずかな人々、しかも、キリストの神性を否定する前提を持つユニテリアン(単一神論者)や、キリスト教自由主義者であります。エホバの証人は、ウエストコット博士(ケンブリッジ大学教授)、ホート博士(ケンブリッジ大学教授)のギリシャ語テキストを使用しながら、博士たちのヨハネ1章1節の解説を受け入れません。その他に権威あるギリシャ語学者A.T.ロバートソン博士(南部バプテスト神学院教授)、ダナ博士(西南バプテスト神学院教授)、マンティー博士(北部バプテスト神学院教授)の知識を引用しながら、彼らのヨハネ1章1節の解説を拒んで「a god/神のようなもの」と主張して、イエスの神性を認めていません。B.M.メツガー博士(プリンストン神学院教授 新約聖書本文研究の権威)は「a god」とする翻訳を「恐ろしい訳である。」と主張しており、W.バークレイ博士(スコットランド グラスゴー大学教授)も「“the Word was a god.”の翻訳は文法的に不可能である。新約聖書として翻訳する教派は知的に不正直であることは明らかだ。」と主張しています。 ヨハネの福音書においてイエスは神の子として紹介されており、父との区別は明白ですが、この点でイエスの神性否定には結びつきません。むしろ人格の区別がなければ三位一体の教理も否定されるのです。
ヨハネの福音書20章28節  弟子トマスの告白について考えてみましょう。
「わたしの主、そしてわたしの神!」(新世界訳)(ホ キュリオス ムー カイ ホ セオス ムー)
1.福音書記者のメッセージ イエスの弟子のひとりトマスは復活のイエスが現れた時、その場所にはおらず、イエスの復活を「わたしは決して信じない。」(新世界訳 ヨハネ20:25)と断言しました。ところが1週間後に現れた時、弟子トマスはイエスを「わたしの主、そしてわたしの神!」(新世界訳 ヨハネ20:28)と告白したのです。この時、ヨハネはギリシャ語で「主/ホ キュリオス」と「神/ホ セオス」に冠詞を使い、イエスを父なる神と同等の礼拝の対象として告白しました。ヨハネは1:1の宣言で始まり、トマスの告白20:28をクライマックスとして「イエスの神性、神である」ことを福音書において明らかにしました。 イエスは父なる神(ホ セオス)と明らかに人格的区別はあります − 特に受肉後のイエスは、神の子として、父に従属的です(ヨハネ14:28、ピリピ2:6−8)−。しかし、イエスは父と共に永遠に存在し、交わっておられました(1:1,1:18)。そして、本質において、父と同等、同質のお方として人々から礼拝されるべきお方であられたのです。 使徒たちは、人々から礼拝された時、そのような行動を強く否定しました。 「皆さん、なぜこうした事をするのですか。わたしたちも、あなた方と同じ弱さを持つ人間です。………彼らは、やっとのことで、群衆が自分たちに犠牲をささげるのをとどめたのである。」(新世界訳 使徒14:15、18) しかし、イエスはトマスの告白を受け入れられました。 「信じない者ではなく、信じる者となりなさい。」 「見なくても信じる者は幸いです。」(新世界訳 ヨハネ20:27、29) 復活の奇蹟は、トマスを初め弟子たちにイエスはキリストであり、神として崇拝されるお方であるとの確信を与えました。ギリシャ語「ホ キュリオス」は旧約の神にも使われます。「エホバ(原文は ホ キュリオス=「主」:著者註)の名を呼び求める者はみな救われる。」(新世界訳 ローマ10:13) ヨハネは1章1節で「言葉は神であった(God)」と始め、20章28節で「わたしの主、/ホ キュリオス ムー」「そしてわたしの神/カイ ホ セオス ムー」と結論付けたとするのが、ヨハネの福音書全体から「ナザレのイエスは誰ですか!」の答えとなるのです。
2.エホバの証人の誤ったメッセージ
ヨハネの福音書9章38節で生まれながらの目の不自由な男性が癒され、イエスに「敬意をささげた。」(新世界訳)とあります。新改訳、口語訳、共同訳、文語訳はいずれも「イエスを拝した。」 (KJVは“worshipped him”)と訳されているのです。ギリシャ語の「プロスクネオー」は第一義的には「礼拝する」と訳されるところですが、新世界訳を出版したエホバの証人はイエスを礼拝の対象と認めたくないので、「拝する」ではなく「敬意をささげた」としました。 その理由はヨハネ1章1節で「イエスは神のようなお方(a god)であるから礼拝の対象ではない」と決めつけ、あらゆる聖句をこの前提で解説するのです。

これらのことから、エホバの証人のイエス論はヨハネの1章1節の解釈の誤りを基にして展開していることがおわかり頂けるでしょう。ヨハネの福音書1章1節で「言葉」を「神のような方、幾つかある神の一つ(a god)」と信じている方々に考えていただき,真理は何であるかに気づいていただきたいのです。 「ナザレのイエス」「人生の希望と目的」「心の平安」などについて更に詳しくお知りになりたい方は下記のところへ勇気を持ってご連絡ください。
2015年1月10日発行

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1914年の真理!

ナザレのイエスは誰ですか!

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宣教

国内宣教・苫小牧

南北海道にキリストを!!
私は福音を恥とは思いません。 福音はユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも 信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」 (ローマ1章16節)

主の御名を賛美いたします。
今回、神様の導きにより、北海道苫小牧市に開拓伝道に出かけることになり心より感謝申し上げます。
どのように苫小牧宣教に導かれたのかを、お証しさせていただきます。
救いのお証しの中でも述べさせていただきましたが、私は神様のくすしいみ恵みのゆえに、キリスト教異端である「エホバの証人」から救われ、クリスチャンとなりました。
エホバの証人時代から、誤った教えを伝える伝道一筋の生活をしていました。丁度、パウロがユダヤ教に熱心に携わっていたように、誤った教えを命をかけて宣べ伝えていました。
時にはまだエホバの証人が伝道していない田舎(人口3000人程度の町)などに行って伝道しました。将来的には海外に行って宣教師として働くことも考えていました。
そのような私が神様の不思議な導きによって救われクリスチャンとなったのです。

救われた時、私は救いと同時にすべてを献げて伝道者として歩むことは、何のためらいもありませんでした。私はエホバの証人ではなく、キリストの証人として歩むこと、そして神学校を卒業したら開拓伝道に出て、まだキリストを知らない人々に伝えることを強く導かれて行きました。 神学校卒業時期が近づき、卒業後、どこで伝道するのか祈っていましたが、なかなか神様の導きを確信することができませんでした。必要な所と言えば日本全国、どこででも必要です。何人かの宣教師からのお誘いもありました。
しかしその時点で、神様は私を母教会、即ち西舞子バプテスト教会(救われた教会)で働くように導いてくださいました。 実際、私はエホバの証人から救われ、キリスト教を十分に知らずに神学校に入学したのです。神様は母教会において牧師と共に働き、牧会や伝道の訓練をする時を与えてくださいました。
神学校卒業後、10年間、西舞子バプテスト教会で副牧師として御奉仕させていただき、訓練していただきました。副牧師として働いている間も開拓伝道の思いは持ち続けていました。九州や四国などの教会がない所、少ない所なども祈ってみましたが、十分な確信を得ることはできませんでした。
無牧の教会からの誘いもありましたが、確信を持つことはできませんでした。
ピリピ2:13に、「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」と書かれています。神様は必ず、私に志、つまり強い強い確信を与えてくださり、「神様が行け!」と言われる場所を与えてくださると信じて10年間を過ごしてきました。
私は副牧師としての働きと共に、元エホバの証人ということで、エホバの証人の救いの働きやカウンセリングなどの働きもして、忙しい毎日を過ごしていました。
2003年のある時、1人の元エホバの証人のご婦人との出会いがありました。北海道千歳市にお住まいの方で、そのご婦人とのメールのやりとりが始まりました。その方は本当の神とはだれなのか、真理とは何なのか、とても熱心に求めてこられました。聖書を正しく教えてほしいとの強い希望がありました。 またその方はいくつかのキリスト教会にも行かれましたが、「質問をしても答えてくれない、元エホバの証人を理解し、受け入れてもらえない」など数多くの点でつまずいていました。もちろん、この方にも考え方を変えるところがあったと思います。この方とのやりとりの中で、神様は私に北海道の地に聖書的な教会、伝道的な教会、エホバの証人を受け入れることのできる教会の必要性を強く与えてくださいました。実際、調べると、北海道には教会のない所、少ない所がたくさんあります。また、北海道の教会のほとんどが札幌市に集中していることなども知りました。
神様に開拓伝道の事を祈りつつ2004年7月に家族で北海道へ行き、神様の御心を祈り求めました。
北海道の中で教会のない所、少ない所へ導いてくださいと祈りつつ何箇所か廻りました。人口の全く少ない所ではなく、ある程度人口があり、そこを拠点として伝道できる所を検討して行く中で神様は苫小牧市へと導いてくださいました。
苫小牧市は、人口約17万人、周りの市町を合わせると約30万人の人々が生活しています。そこに教会はわずかしかありません。また、聖書的な教会となれば本当にわずかになります。また3つの町は全く教会がありません。教会がある町でもその教会には10人程度集まっているかいないかです。 私たちはこの苫小牧市に主の教会を設立し、ここを拠点として周りの約30万人の人々にキリストをお伝えしたいと願っています。私たちの力はわずかですが、主に頼りつつ、福音宣教を推し進めていきたいと願っています。
使徒の働き18章9・10節にあるように、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町にはわたしの民がたくさんいるから。」ということばを語った同じ主に信頼しつつ励んでいきたいと思っています。 宣教の恵みを、ぜひ、皆様にも与っていただきたく願っております。
この宣教のために皆様のご祈援、ご支援を心よりお願い申し上げます。また、宣教のためにアピールさせていただきたく願っています。
もし、この働きにご関心がございましたら、ぜひ、下記の方へご連絡をお願いいたします。 皆様のお働きの上に神様の豊かな恵みと祝福がありますよう、心よりお祈りさせていただきます。どうぞ、私たちのこの働きのためにも、お祈りください。
尚、苫小牧市近郊で訪問してほしいl方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご連絡ください。 またご支援くださる方は、振込用紙の通信欄に、必ず「苫小牧宣教のため」と、ご明記ください。
どうぞ、宜しくお願いします。

連絡先:西舞子バプテスト教会
〒655 - 0048
神戸市垂水区西舞子8丁目10-11 (TEL/FAX)  078-781-3258

こちらまでご連絡ください。
ご支援口座番号 郵便振込み口座:01170-0-015266 加入者名:西舞子バプテスト教会
振込用紙の通信欄に、「苫小牧宣教のため」とご記入ください。
ぜひ、苫小牧宣教のために祈ってください。この福音宣教を共に担ってください。 南北海道にキリストが伝えられ、主の栄光が現わされますよう お祈りお願いいたします。
「私と私の家とは、主に 仕える」   (ヨシュア24:15)
2005年 2月 西舞子バプテスト教会             小崎 稔・聖美



エホバの証人からキリストの証人へ     小崎 稔
私は1967年12月26日に兵庫県神戸市に生まれました。私の母は20歳という若い年齢で結婚しました。若かったからでしょうか、特に母は子供をどのように育てたらよいのか悩んでいたそうです。また、良き妻、母となるためにどうしたらよいのかという事もよく考えていたそうです。ちょうど、そのような時にエホバの証人の方が訪問して来られ、「聖書が子育てに役立ちますよ」という誘いかけに応答して、彼らと家庭聖書研究会(家で週1時間ほど、彼らの組織が出している書籍を学ぶこと)を始めました。 しばらくしてから、母はエホバの証人の組織の中でバプテスマを受け、正式にエホバの証人の1人となりました。ですから、私は生まれた頃からエホバの証人の子供として育てられたのです。小さい時にはよくお尻をベルトで叩かれ、母には絶対に従わなければなりませんでした。その頃の思い出は、ただ恐ろしい母ということしか残っていません。何かすると怒られないだろうかと不安な気持ちを抱きながら、気の弱い子供として歩んでいました。また、母の前ではいつも良い子でそれ以外は隠れて悪さ(子供らしいこと)をするといった二重人格的な者となっていきました。 父は公務員としてまじめに働き、優しい人で家族のためによくしてくれました。しかし、無神論者であり現実主義者でしたので、母の信仰には強く反対し迫害しました。母は父が反対すればするほど熱心になり、エホバの証人の教えを布教することを中心とした生活をしていました。私自身も幼い頃から手を引っ張られて家を1軒ずつ訪問し、組織の教えを人々に広めていくようになったのです。 いつもきちんとしていなければならず、組織には絶対服従でした。あれはダメ、これはダメと、守らなければならない多くの戒律がありました。
実際、この組織はユダヤ教に似ており、律法主義的なもので、子供の私にとっては縛られた窮屈なものでした。このような環境の中で中学生になり、この頃から友達の影響などで、エホバの証人の組織に縛られたくないと考え、自分の好きな道を歩もうと思うようになりました。私はますます自由を求め、エホバの証人であった母に反発するようになっていきました。
自分の意志でエホバの証人に 反発していた私ですが、中学2年生後半頃から再び組織に引き込まれてしまいました。その原因は、組織が強調している終末論によって、「エホバの証人しか救われない(ハルマゲドンを生き残ること)」ということ。また組織の人々はとても誠実でまじめな良い人が多いということです。そして、少し年上の親しい友人もでき、彼の影響も大きかったと思います。その結果、中学3年生のときに自らの意志でバプテスマを受けてエホバの証人となりました。バプテスマを受けてからは、「これこそ神の組織」、「終わりが近い!!人々を救わなければ・・・」と信じ込み、熱心に伝道に携わっていったのです。 私は神のことばである聖書を組織の考え方に合わせて家から家に、またあらゆる人々に伝えていきました。私は神の奴隷ではなく組織の奴隷へと知らず知らずになっていました。特にキリスト教会に行っている人に出会うなら、「教会はサタンの支配下にあり聖書から離れている」と、何も知らないのに組織から教えられた通りに語っていました。ちょうど、使徒パウロがキリストに出会う前、熱心にクリスチャンたちを迫害していたように、同じことを私もしていたのです。 バプテスマを受けてから約6年間、私は正規開拓者(布教活動に月90時間を費やす)として、偽りの教えを神戸市・明石市、また一時的に島根県や徳島県の田舎の地域で広めていました。この組織こそ神の組織であり真理を教えていると確信していましたので、忠実に従っていました。またその忠実さのゆえに20歳という若さで、1会衆の奉仕の僕(教会の執事)という地位も得ました。 組織の誤りに気づく 組織にすべてを献げていた私に、神様は大きな恵みとあわれみを与えてくださいました。
1988年5月頃、神様は1.人の兄弟を通してエホバの証人は異端宗教であり、カルト宗教、組織が偽りであることを教えられました。この組織にすべてを献げていた私にとって、その事実は衝撃的なことでした。失望し、何を信じたらよいかわからなくなっていました。 間違いを教えてくれた兄弟は有能な方でした。組織では、「有能な人はサタンに惑わされやすい」ということは定説となっていました。私はその兄弟も、「サタンにやられてしまったか」と思うようになり、兄弟を避けるようになっていきました。しかし、その兄弟は自分の考えや自分に従わせようとしたのではなく、神のことばである聖書だけを使って私に誤りを教えてくださいました。 私は約半年間、すべての規準となる聖書だけを使って調べました。キリストも聖霊も神であること。誰の名によって救われるのか。信仰を持つのか。苦しみを受けるのか。バプテスマを受けるのか。集まるのかなど、様々な疑問が出され、その疑問にすべて答えてくださいました。聖書はエホバ中心ではなくキリスト中心だったことを、はっきりと知る事ができました。 エホバの証人は、「自分たちだけが聖書を正しく理解でき、神はこの組織だけを認めて用いる。従わない者たちをハルマゲドン(神の裁き)で滅ぼす」と教えています。しかし、すべて偽りであることがわかりました。私は組織の数々の誤りを知りましたが、それでも組織は正しいと自分に言い聞かせ、かたくなに拒み、間違いを教えてくださった兄弟を避けるようになりました。 私は聖書を読めば読むほど、真理のことばが心に入り、組織の誤りがわかり苦しみました。神への祈りの中で、「神様、本当の真理を教えてください。何を信じたらよいか私にはわかりません。あなたが導いてくださるならどんな道にも従います」と、泣きながら叫びました。 結果として、エホバの証人の誤りを聞いてから半年後の1988年10月20日に組織を辞めることを決心して出ました。神様は、本当に真理を求めている人の祈りを聞いてくださり、救いの道をさしのべてくださるお方であることを確信しました。私が組織を辞めることを最終的に決心できた理由は、「完全な神のことばである聖書に従っていきたい」という強い思いがあったからです。 聖書のことばに、「あなたは熟練した者、すなわち真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、務め励みなさい。」(Ⅱテモテ2章15節)とありますが、私にとって強烈なことばでした。 私は組織にではなく、聖書に完全に従っていく決心をしました。そして真理を見出すために、聖書を正しく教えている教会へと、神様が導いてくださいました。 キリスト教会に行き真理を見出す 神様の不思議な方法で組織から脱出でき、ファンダメンタルな教会に導かれました。それが神戸市にある西舞子バプテスト教会でした。
1988年10月23 日、生まれて初めてキリスト教会に行きました。私は非常に驚き、同時に大変感動しました。とても元気な生き生きとした声で神様を賛美している姿、また聖書からの素晴らしいメッセージを聞くことができました。 エホバの証人の組織はキリスト教会を強く非難しますが、すべてのキリスト教会に当てはまるものではありません。「教会はサタンの手先だ。聖書から離れ、腐敗している」と、何度も何度も教えられてきました。私も同じように他の人に言っていました。教会に行くことは本当に不安でした。組織一直線だった私が、組織を離れ、教会に導かれたことは、神様の大きな恵みであり憐れみであると、心から感謝しています。 私は喜びのうちに、ここに真理があると確信し、次の聖日(10月30日)にイエス・キリストを真の神であり救い主として受け入れました。この確信に至ったみことばはたくさんありますが、特にローマ書3章23-26節、第Ⅰペテロ書1章8-9節です。 不思議なことに、エホバの証人は罪(不完全さという意味で)について言いますが、罪の自覚を持っていません。しかし私はイエス・キリストに出会って、自分自身が真の神様から離れていた大きな罪人であることを認めて悔い改めました。キリストを心から愛し、キリストの身代わりの死による犠牲と復活によって救われ、このキリストを一生涯、人々に伝えていきたいという強い強い思いが与えられ信仰を持ちました。その時以来、今日に至るまで本当の喜びと心に真の平安を持つことができていますことに、心から感謝しています。
真の神様への献身 私は救いを得て生まれ変わり、自分自身をすべて神様に献げる献身をしました(ローマ12章1節)。私の罪を赦し、永遠の命を与えられ、神の子供としてくださった神様にお仕えし、このお方を知らせたいという思いが与えられています。ちょうど、キリスト教の大宣教師パウロの素晴らしい模範を考えます。パウロは以前、クリスチャンたちを迫害していた人でしたが、復活のキリストに出会って回心しました。 「以前ユダヤ教徒であった頃の私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。また私は自分と同族で同年輩の多くの者たちと比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。」(ガラテヤ1章13-17節) パウロは、より広遠にキリストの証人として人々に宣教していきました。神様がパウロを選び出され、異邦人の使徒としてくださったのです。神様が私をも選び出してくださり、私に対してご計画を持っていてくださっていることを確信しています。パウロはローマ書1章14-16節で「返さなければならない負債(伝道する責任)を負っています。・・・・・・・私は福音を恥とは思いません。」と述べました。 この聖書のことばは私を献身へと導き、伝道者・牧師として働いていくために神学校へと導かれました。言わばパウロと同じように、私は偽りの教えを人々に広めており、キリスト教会を攻撃していた者です。ですから多くの負債を負っている者です。神学校で学びと訓練を十分に受けて将来に備えることができました。 5年間、神学校での学びと訓練を与えてくださった神様に感謝しています。
素晴らしい福音(Good News)を通してエホバの証人から救い出され、真理であるキリストに導かれた私は、この素晴らしい知らせを人々に語らずにはおられません。同じ日本人に、またエホバの証人の教えに惑わされている人々にキリストにある平安と希望(救い)を語っていきたいと願っています。



救いの証し  小崎 聖美

クリスチャンの両親のもとに生まれ、小さな頃から全能の神様の存在を知り育ちました。イエス・キリストが全人類の罪を贖うために十字架にかかられ3日目に復活されたこと、人は死んで終わりではなく永遠のいのちがあることなど、子供なりに理解していました。小学校1年生の時「死んだら神様がいらっしゃる楽しい天国に行きたい」という子供ならではの純粋な気持ちからイエス・キリストを自分の神様として信じました。しかし、私が罪人であり、私の罪のために身代わりとなって十字架にかかってくださったということを自分自身のこととして受け入れ、救いの確信と喜びが与えられたのはずっと後になってからのことでした。

献身
牧師家庭という環境で育った影響もあってか「日本の教会の少ない所に誰か教会をつくってくれないかな」と、幼い頃から漠然とした思いがありました。中学生の夏のバイブルキャンプにおいて神様は私に強く語ってくださいました。どのような役割であっても神様に仕える一生でありたいと願い、献身の決心をしました。

苫小牧開拓伝道
私たち夫婦には「教会の少ない所での伝道」という願いがありました。結婚してすぐにでも開拓伝道に出かける心の準備がありました。しかし、神様はもう一度私たちの思いが本物であり真実であるか吟味する時間を与えてくださいました。でも、時が経つにつれ待つことがしんどくなり、この先どうなるかわからず不安でイライラ過ごす日が多くなってきたとき、ふと自分の考え方に過ちがあることに気付かされました。私はあまりにも自分の思い、意見を優先させようとしていたのです。そこで「神様の御旨が私をとおしてなされることを願う者でありますように」と悔い改めの祈りをしました。それからすぐ主人から「これから開拓にむけて動いていこう」と声をかけられたのは結婚してちょうど10年目のことでした。待つ10年というのは非常に長く感じられるものです。しかし、神様の時が必ずあることをもう一度確信できたことは私にとって幸せであり、感謝であります。 それから日本全国の人口に対する教会数などいろいろ調べました。結果いくつかの「市」が候補としてあがりました。その中に苫小牧市があり、教会数が少ないこと、良い教会が少ない、また、札幌と比較してもその差は歴然としたものがありました。私たちはこのことを覚え、神戸からとても遠くでありますが南北海道へ開拓伝道の働きに与からせていただけることになりました。神様の御恵みを感謝し、1人でも多くの魂が救われることを願ってやみません。 「神はみこころのままに私たちのうちに志をたてさせ、事を行なわさせてくださるのです。」(ピリピ2:13) 


苫小牧ってどんなところ?

Ⅰ. 概 要
表牧師 1.位置、面積について 苫小牧市は北海道の南西部、札幌市から南へ約60km、統計141度、北緯42度に位置し、市域は東西39.9km、南北23.6kmで面積は561.22平方キロメートルです。周りには、北に千歳市・追分町・早来町、東に厚真町・鵡川町、西には白老町があります。特定重要港である苫小牧港を有し、鉄道や国道および高速道路など交通アクセスに恵まれ、さらに新千歳空港も隣接し、北海道の海・陸・空の交通網の要に位置しています。

2.市名の語源について 苫小牧川が流れる一帯を、昔の河川名であったマコマイ(アイヌ語で 「山奥に入って行く川」)と呼んでいました。沼のあった旧樽前山付近一帯は、アイヌ語で沼の意味である「ト」の字を付けて、「ト・マコマイ(沼のマコマイ)」と呼ばれるようになり、今日の苫小牧となりました。

3.気候について 苫小牧市は積雪寒冷の北海道にあって、冬は降雪が少なく,最低気温も氷点下10度以下になることも少なく全般的に温暖な気候です。夏は25度を越えることは珍しく、たいへんしのぎやすい気候です。晩春から初夏にかけて特有の海霧がかかります。

Ⅱ.人口について
現在(2005年1月)の人口は172,059人で、人口増加率は0.02です。世帯数は、75,157世帯でわずかながら増加しています。年齢別でみると、0-14歳が14.3%、15-24歳が11.7%、25-64歳が57.2%、65歳以上が16.8%を占めています。

Ⅲ.産業別就労人口と都市の特徴
1.臨海工業都市・・・日本初の内陸掘込港である苫小牧港が築かれ、臨海工業地帯を形成しています。紙・パルプのほか、石油精製、自動車などの企業が集積しています。苫小牧港の貨物取扱い量は、全国4位です。また、高次機能都市として技術力向上や高度化、研究開発による新産業に力を入れています。
2.特産として紙、スモークサーモン、ハスカップ、ホッキ貝などがあり、新聞用紙生産、ホッキ貝、ハスカップ製品はそれぞれ日本一です。
3.冬のスポーツのアイスホッケーやスケートなどが盛んです。また昨年(2004年)は、全国高校野球夏の大会で駒澤大学付属苫小牧高校が優勝し、初めて北海道に優勝旗を持ち帰りました。大自然に恵まれ、樽前山やウトナイ湖などは有名です。特にウトナイ湖にはたくさんの白鳥が渡来します。

Ⅳ.キリスト教会の教勢
現在、苫小牧市内には7つほどのキリスト教会があります。しかし、その多くは福音的な教会ではありません。またそれらの各教会の集まりは、20人以下がほとんどです。そして、単立バプテスト教会もありません。また隣接する千歳市には2つだけ、また5つの町の内、3つの町は教会が全くありません。苫小牧市に約17万人、隣接する市町に約13万人、合計30万人の人々が住んでいます。これらの人々に十分、福音が伝えられていないのが現状です。 聖書的単立バプテスト教会が建てられ、福音が十分に伝えられ、救われる魂が起こされますようお祈りください。

小崎先生家族による苫小牧(南北海道)開拓伝道に祈援ください。
小崎稔師が、この度、主の召しと導きを確信し、苫小牧開拓伝道を始めることになりました。 私ども西舞子バプテスト教会は、このことを主に感謝し、心から開拓伝道者として推薦する次第です。
小崎師の証しにありますように、エホバの証人2世として育てられ、自らも証人として伝道されてきた方ですが、主イエス・キリストの大いなる恵みにより、ユダヤ教から改宗したパウロのように、キリストの福音によって捉えられ救われました。
救いとほぼ同時に献身し、そのとき以来忠実なキリスト者としての歩みを続けております。 教理的な混乱や迷いもなく、関西単立バプテスト神学校で上級牧会者コースを学び終え、当教会で10年間、副牧師として主につかえて来られました。
伝道に対する情熱、聖書をこつこつと教える忍耐力に優れており、牧会者、伝道者として十分な賜物を持っている方です。 夫人と子どもたち(9歳女子・7歳男子)も先生の働きに同じみこころを確信し、この働きに与ろうとされています。
元エホバの証人として、証人たちへの伝道も大きな重荷ですが、すべての人々を救いに導くべく、福音の宣教者として単立バプテスト教会を設立するために立ち上がりました。
この開拓宣教のために、同じ重荷をもっていただけます皆様方の祈援をよろしくお願いする次第です。

2005年2月17日 西舞子バプテスト教会   牧師 表 博之

海外宣教・アジア

根本主義バプテストに求められるもの

築き上げるためであって、倒すためではないのです。Ⅱコリント13:10

神学生の時に1人の教師が大変興味深いたとえ話をしてくださいました。
「ある町に1人の根本主義者が来た。彼は何もかも否定し全て壊してしまい、去って行った。彼の去った後には何もかも無くなり、以前有った物までも無くなってしまった」。実に興味深いたとえ話で、根本主義者のある側面を適切に表しています。
もう1つは極めて現実的な問題です。最近私はある根本主義の大会に参加しました。主催者が大会を開催した目的は、「自由主義者や新福音主義者たちは、約50年の間の比較的早い時期に、組織的な大規模の協力体制を確立した。そして、すでに多くの大きな事業を達成してきた。私たち根本主義者はいまだに何の協力体制もできずに相変らず相互に対立し、非難し続けている。もし、今この協力体制を確立できなかったら、次の50年も又同じ。故に私たちは今回この集まりを通して一致点、又協力できる点は何かを探り、できるところから始めていきたい」と。
実はこのことは私が長い間祈り模索し続けていたことです。感謝なことには、主の豊かな御導きの中で、今回「根本バプテスト聖書研読本」を発行すべく、すでに働きが始まっています。この働きの中で多くのことを教えられ、導かれています。以下の内容はこの働きの中で教えられていることです。
もし、主の御再臨がなければ、今後の50年を睨んだ私たち「根本主義バプテスト」の、最大の必要の1つが、この「共に築き上げる働き」と言えるでしょう。 貴方も是非、このことに関して「静かに主の御前に出て、じっくり祈り考えて」頂きたいのです。

求神帯領! 求神幇助!

Ⅰ.宣教地の必要から
その経緯
8年余りの宣教地での働きの中で、祈りつつ、模索しつつ宣教地の真の必要に触れる働きを切望してきました。 これらの働きを通して、広大な宣教地の働きに多くの限界を痛感し、「より広範囲にわたる、より長期的な働き」を祈り導かれた結論の1つが、 「根本バプテスト聖書研読本」の発行です。宣教地に「キリストの体なる教会」を設立するのに、必要不可欠の働きです。
現在の状況
主の豊かな導きの中で、すでに諸準備が進められ、世界の各地から支援が寄せられています。この働きを初めてくださった主が完成してくださることを信じ、続いて主を見上げています。

Ⅱ.相互協力の必要
これらの働きには相互の協力が不可欠です。多くの協力があって、初めて可能な働きです。各自の持てるものは小さくてもこれらの力を総合するなら、考えられない位の大きなものになります。1人1000円の献金はそんなに大きくありませんが、100人で10万円、1万人では100万もの大金になります。大きな事業には多くの、様々な面での協力が必要です。 大きな事業には多くの、様々な面での協力が必要です。この相互の協力は初代教会からの聖書の原則です。パウロの働きにはピリピ教会や、他の多くの教会のクリスチャンたちの協力がありました。ローマ書16章などの書簡の最後に出てくる多くの人名は、彼の協力者と言えるでしょう。近代宣教は多くの諸教会の協力で可能となる働きです。各自は各々の分野で賜物を生かして協力することができます。Ⅱコリント12章の「体が各器官から成っている」のと同じです。各自がそれぞれ異なった賜物を与えられているのは、実に素晴らしいことです。この「違いは」は、多くの分野での協力を必要とする働きにおいて、大きく用いられます。 あなたの担い得る、貴方ならでは働きが必ずあります。

Ⅲ.より良いものを建て上げることの必要性
まず「何が駄目か?」ではなく、「何ができるか?」について祈り、考える必要があります。この点は非常に大切な点です。つまり「壊す」のではなく「建て上げる」ことについて祈り考える必要があります。「築き上げるためであって、倒すためではないのです」Ⅱコリント13:10パウロに与えられた権威は、この「築き上げるため」でした。では貴方に与えられている「多くの賜物」はいかがでしょうか?問題点は私たちの視点です。最初から「否定」を前提とするならば、協力は不可能です。視点を変えて「建て上げる」ことを考えなら、貴方も多くの「協力できる点」を必ず見出すでしょう。

Ⅳ.根本主義バプテストが一致協力するとき
サタンは極めて巧妙に「私たち根本主義バプテスト」の一致協力を妨げて来ました。残念ながら彼は現時点では成功していると言わざるを得ません。 「私たち根本主義バプテスト」は「大変に高価な良いもの」を主から与えられ、ゆだねられています。私たちが主にあって一致協力するならば、「私たち根本主義バプテスト」ならではの、尊い大きな働きが可能です。このことを通して「私たち根本主義バプテスト」は「影響を受ける」のではなく、「良い影響を分かち与えて」行く側になります。 主が「私達根本主義バプテスト」を建てられた理由ではないでしょうか?「築き上げるためであって、倒すためではないのです」Ⅱコリント13:10私たち一人ひとりはこの御言葉を吟味する必要があるでしょう。 貴方はいかがでしょうか?

「主に喜ばれる」働きとは:
■「否定し、破壊」することではありません。「建て上げて」いくことです。
■主があなたに与えられた賜物は、主のために「建て上げる」ものです。
■「私たち根本主義バプテスト」こその働きを、共に「建て上げて」いくことです。 
■「私たち根本主義バプテスト」が、今こそ、主に在って、一致協力」して「建て上げる」働きを始める時です。 貴方もぜひ、この働きに加わってください。

主の2001年10月24日 
宣教地にて 感謝しつつ 祈りつつ 以馬内利  主内 景 雅 各 

※中国語の注解書つき聖書を販売しています。
ご希望の方は、教会にご連絡ください。(1冊1,500円)

西舞子バプテスト教会
TEL&FAX   078-781-3258

アクセス

TEL 078-781-3258
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E-Mail church@nishimaiko-bc.com
住所 〒655-0048
神戸市垂水区西舞子8丁目10−11
礼拝時間 10:30〜12:00(詳しくは礼拝案内をご覧下さい。)
その他 日曜日の礼拝のほか、水曜集会、婦人会などがございます。

お車でお越しくださる方、申し訳ございませんが、駐車スペースがございませんので明舞センターのタイムズの駐車場をご利用ください。
また。各集会には、無料送迎バスがございますので、お問い合わせください。

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